カテゴリー別アーカイブ: 浜 なつ子・言の葉

浜 なつ子・言の葉2

 まったく、あの独特で異常ともいえる性格の主人公たちはどこから来たの だろうか。それは『嵐が丘』の舞台、ヨークシャー地方の荒野から生まれた。「ワザリング」とは、この地方に特有な言葉で、激しく吹きすさぶ風を意味する。嵐のとき、高台では「ワザリング」をまともに受け、恐ろしいほどだという。
 ロンドンから北へ向って二時間半ほど、キースリーという小さな駅で降り、ハワースに向かう。二階建てのバスに乗って二十分ばかり。車窓に目をやると、晩秋の荒野が果てしなく続いている。その日はハワースのB&Bに泊まったのだが、ヨークシャー地方がこんなに冷えるとは知らなかった。スチーム式の暖房はあるのに手足が冷えて寝つけない。これで「ワザリング」が吹き荒れたら…、そう思うとぞっとする。ヒースクリフやキャサリンという激しい気性の人物を生み出した土地の荒々しさをほんの少し分かったような気がした。(略)
 『嵐が丘』を発表した翌年、エミリーは三十歳の若さで世を去ってゆく。兄ブランウェルの葬式でひいた風邪がもとで肺炎をおこしたと言われている。その様子を姉シャーロットは感動的な筆致でこう書いている。「彼女は私から去って行くことを急いだ。…くる日もくる日も、何という強い態度で苦しみに向かっていったことか、私は驚きと愛のいたましい気持ちで彼女をながめた。そのようなものはこれまで見たことがない。(略)男子よりも強く、子供よりも単純で、彼女の本質は比べるものがった」(『ブロンテ姉妹』山脇百合子著)(略)
 生涯にたったひとつの小説を書いてこの世を去ったエミリー。恋らしい恋もせず、結婚もせず、女としては不幸だったろうし、職業作家としてはあまりにもみじめだった。しかし、本当に自分の書きたいものだけを魂の叫びのようにして書き、その作品がいまなお世界中の人々に愛読されているのだから、エミリーは作者として至上の喜びを味わっているはずである。
                  E・ブロンテ「嵐が丘」
                  浜 なつ子『イギリス文学散歩』

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浜 なつ子・言の葉1

真我と共にありますように、どんなに厳しい状況であれ、その状況を受け入れる力がありますように、そしてわたしも真我と共にありますように、と祈る気持が強くなっている。
                        浜 なつ子『アジア的生活』
 ああ、アジアのどこか、どこでもいい。生きることの素朴な熱狂を、雑踏のリズムやバナナの葉っぱの揺らぎと共に発散している空間に旅立ちたい。
                        浜 なつ子『アジア的生活』
 本当に行きたい場合は産経新聞のときと同じで、自費だろうと赤字であろうと、やはり行ってしまうものである。そうだはなくて、わたしは「取材でアジアへいく」のが何よりもまして好きなのである。観光旅行では絶対に行かないような村を訪ね、その村の安宿か、あるいは村人の家に泊めてもらう。ガイドブックの旅ではまずで出会わないようなリッチマンの邸宅に招かれ、翌日は、スラムのどん底の掘っ立て小屋でご飯を食べる。その土地、その社会に生きる人々の生活を実感できる旅、時代を追いかけながらの取材旅行。そんなぜいたくな(人によってはとんでもない)旅が、たまらなく好き。
                        浜 なつ子『アジア的生活』
俺(ピナトゥボ火山の麓で水牛をひく少年)がこの仕事を始めるとき、父さんがこう言ったんだ。「カネにはならなくても、他人を羨ましいと思うな。正直者であれ」ってね。俺は父さんを尊敬している。
                        浜 なつ子『アジア的生活』
 愚かしい行為のほうにより涼しい風は吹く。
                        浜 なつ子『アジア的生活』
 わたしにとってスラムは混沌という名の‘’楽園‘’であり、生命力溢れる根源的な場所である。貧困にあえぐ人々の気持ちを棚あげして楽園とは何事か、という声もあるだろうが、人が人を思いやるという意味において、楽園であるとわたしは思っている。楽園は、厳しい環境のもとにおかれた混沌のなかでこそ花咲く。
                        浜 なつ子『アジア的生活』
 最も俗なるところが聖に通じ、最も醜いものが清らかなものに近く、最も単純なものが真実に迫るという逆説を痛感できる哲学的な場所でもある。
                        浜 なつ子『アジア的生活』  どんな時代、どんな環境に生きていようと人の幸せは平等に与えられている。同じように不幸もまた等しく賦与されている。
                        浜 なつ子『アジア的生活』
 幸せの中に不幸があり、不幸の中に幸せがある。
                        浜 なつ子『アジア的生活』
 いいかげんに生きたら、楽になるぞ。 
                        浜 なつ子『アジア的生活』
 あたたかい人間関係さえもてれば、人はどんな環境でも生きていける。
                        浜 なつ子『アジア的生活』
 日本を逃れるようにして。海を渡ったはんぱ者たちがいる。
 南の島の涼しい風に吹かれてころがれば、
 ひとりのまともな男になれると思ったのに、
 混濁の街マニラで我が身を見つめれば、
 やっぱりいつものろくでなし。
 だけれども……
                        浜 なつ子『死んでもいい』
 ある寓話を思い出す。それはある雑誌のインタビューで山田洋次監督が話していたもので、
こんな内容だった。
 青森県の津軽だったと思うが、昔、三つ目小僧の村があったそうだ。そこへ「三つ目小僧を
一匹つかまえて、見世物の商売をしてやろう」と江戸から行った者がある。その津軽の村へ行ってみたら、本当に村人がみんな三つ目だった。
「これはいい」と思った男が誰かをつかまえようとしたところ、村人に寄ってたかって逆に捕え
られてしまった。そして江戸から来た男は見世物にされてしまったのである。
「二つ目の人間がいる」ってね。

 明らかに私は「二つ目」の人間であり、わざわざフィリピンまで「暗さ」を求めてやって来ている。その姿は滑稽で哀れですらある。しかし、「三つ目」「小人」……象徴的に言えば、既存の価値観とは異なる別の価値……が私の中にしみ入つてきて、本来の私を安堵させるのだった。
 物語のない人生にいかだわしさを、正しい道徳にいいかげんさを、清潔な生活に不潔を、合理的な考え方に軽みを、経済のマイナス成長に美徳を、そしてモノ化している人間に生き血を。
                    浜 なつ子『マニラ、まにら、魔尼螺』
 マニラで中田さんと杉山さんに会い、バンコクでは幾度となく鮫島さんを訪ね、シェムリアップでは幻の玉本さんを追うにつれ、ますます男たちにはふたつの生があるような気がしてきた。
いま、ここに実体を感じる生tpもうひとつ、自分の「影」の人生。そして彼らの場合は、その「影」の人生のほうが色濃く匂ってくるのである。男たちは「影」の人生を生きたくて、こうしてアジアにいるんだ、そんな気になってきたのである。
                    浜 なつ子『アジア行きの男たち』