カテゴリー別アーカイブ: 俳句ブログ

自句自解 上泉呑海

白服やトランペットの海ゆかば

白服は海軍の象徴である。巻頭のエッセイに書いたように、即興のトランペットの哀切な調べが胸に染みた。NHKのドラマ「坂の上の雲」の主人公、秋山真之役の本木雅弘の白服が鮮やかだった。

薔薇の雨デジャビュの街と軍港と

横須賀を歩いていると、初めて歩く道でも幼いころに来たような記憶がよみがえる。父は横須賀の裁判所の裁判官だった時期がある。そのときの記憶とだぶるせいなのだろうか。

薔薇の雨ドックヤードの潜水艦

このドックヤードは第七艦隊の母港であるアメリカ極東艦隊のものである。つまり、悲しいかな、日本の潜水艦がアメリカのドックヤードで修理を受けているのだ。これが平成日本の現実である。

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自句自解   上泉呑海

飛花落花『戦艦大和』を叙事詩とす    上泉呑海

花冷えや海の墓標のとほくあり      上泉呑海

あをあをと空のまほらに花吹雪      上泉呑海

 

「古来、諸民族は各々の民族の苦難の物語を発見し、再確認することによって生き続けてきた」(江藤淳)。それを叙事詩と呼ぶのなら、イギリスには『アーサー王伝説』があり、日本には『平家物語』と吉田満の『戦艦大和』がある。

七十一年前、一つの民族が全的敗北を喫した。その象徴が戦艦大和である。吉田満は海軍少尉として乗艦。奇跡的に生還した彼が戦後、GHQからの発禁処分を受けてなお著した一冊が『戦艦大和』である。死者三千余名。私が俳句として文字に落としたかったのは「桜」である。生き残った兵が呉に帰ったとき、満開の桜は何事もなかったかのように美しく咲いていた。それを見た兵の中には発狂した者もいたという。叙事詩とは民族が忘れてはならない自らの物語だと確信している。  なお、四月七日は戦艦大和が「徳ノ島北西二百浬ノ洋上」に轟沈した日である。

 

 

 

鎌田俊句集『山羊の角』 一句鑑賞

飽食の世に狼の生きられず      鎌田俊

この句の眼目は「狼」である。太った豚はあり得ても、肥えた狼など存在しない。アポリアとしての狼は、飢えていなければならない。換言すれば、狼の才能とは、飢えてなお生き続けることであろう。メタファーとしての狼、私は以下の人々を想起した。三島由紀夫、江藤淳、村上一郎、野村秋介。皆、現代ののっぺりとしたふやけた飽食の時代に絶望して自ら命を絶った人たちである。そしてなお、その言語、行為、思想において、死してなお生き続けている漢たちである。もとより、鎌田俊氏の描く狼とはまるで違っているとは思うが。

句集『山羊の角』の全三百二十句の中で狼が詠まれているのは、<おほかみを祀りて水の澄みにけり><狼を起こさぬやうに話しけり>と掲句の三句である。<おほかみ>の句は、三峯神社などの景であろう。問題は、<狼を起こさぬやうに話しけり>である。この狼とは、何のメタファーであろうか。狼とは、日本ではもう既に絶滅したという山犬であると、鎌田氏は「蛇の足」で解説している。私は失われた日本人のエートスだと、感じ入った。これまた氏の想定する狼とは異なるだろう。

読者それぞれがイメージする狼とは何であろうか。    (上泉呑海)

 

 

 

 

しづり雪光の束となりて落つ  大場文旦子

心豊かな時の流れを感じさせる。清らかなしづり雪を見つめる朝。木の枝と枝の間の空が
次第に明るくなる頃。しづり雪に朝日が差し、一瞬の光芒。ゆとりのある心が静謐だ。永遠の
一瞬を捉えた、少年のようなみずみずしい情感がある。この句の清らかな、ピュアーな感触は、
時空を超えて出会った一滴の露のような光景である。

フジテレビとは銀球の春を載せ  坊城俊樹

お台場フジテレビの屋上には、巨大なミラーボールと見まがう銀球が在る。その銀球は、平成日本の象徴たるメディアの事物の本性を仮託している。この句からは何の私情も伝わって来ないが、だからこそモノの本性が巨大化するのだ。

連合艦隊解散の辞

「神明は唯平素の鍛錬に力め戦はずして既に勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に

一勝に満足して治平に安ずる者より直に之を褫ふ古人曰く勝て兜の緒を締めよと

   明治三十八年十二月二十一日

   連合艦隊司令長官 東郷平八郎(起草 参謀 秋山真之) 」

 

  暮れてなほ命の限り蝉しぐれ     中曽根康弘

  才能とは情熱の異名であろう。飽くことなく屈することもなく、情熱を傾け続けて初めて、才能は開花する。幸福な人生とは、つまるところ死の床に臨んで悔悟せぬ人生のことであろう。国家の平和と繁栄を永遠に保障するものは、けつして武力ではなく、文化なのだと。あるいは、文化こそが、最大の武力であると認識する国民の叡智なのだと。

 

  隼や空つつぬけに晴れわたり      上泉呑海

  海鷲や怒濤の果ての波まくら       上泉呑海

  轟沈シ巨体四裂ス花曇           上泉呑海

 

江藤淳、吉本隆明への俳句

  『追悼  江藤淳記』 吉本隆明より

「 江藤淳とわたしとは文芸批評のうえでも、時事的な評論のうえでも、よく似た問題意識をもってきたが、大抵はその論理の果ては対極的なところに行きついて、対立することが多かった。たぶん読者もまたそうゆう印象だったろう。なぜかわたしには対極にあるもの特有の信頼感と優れた才能に対する驚嘆と、時々思いもかけぬラジカルな批評をやってのける江藤淳にたいする親和感があった。江藤淳との最後の対談の日、今日もまた対立かなとおもって出掛けたが、対談がはじまるとすぐに、江藤淳がもう侃侃諤諤はいいでしょうと陰の声で言っているのがわかった。わたしの方もすぐに感応して、軌道を変えたと思う。彼はその折、雑談の中でふと、僕が死んだら、線香の一本もあげて下さいと口に出した。同時代の空気を吸っていたとはいえ、わたしの方が年齢をくっているのに、変なことを言うものだなとおもって生返事をしたように記憶している。眼と足腰がままならず、線香をあげにゆくこともできなかった。この文章が一本の線香ほどに、江藤淳の自死を悼むことになっていたら幸いこれに過ぎることはない。」

 

  江藤淳吉本隆明涼しさよ            上泉呑海

  百猿忌カサブランカは悲の器          上泉呑海

吉本隆明『詩の力』

(石倉秀樹 書評『詩の力』を読む 「吟遊」44号 吟遊社 2009年10月20日より)

吉本隆明著『詩の力』はいい本だ。原題が『現代日本の詩歌』であったように、現代の詩と短歌と俳句を平明な文章で通覧できるし、現代の詩の力の磁場が、どこを極としているかがわかる。そして、とりわけ俳句については、世上の常識あるいは固定観念といったものを、唖然となるまでに覆し、眼から鱗をはらりと落とさせる力がある。

『詩の力』で論じられている俳人は、次の四人。

「現代の短歌と同じような自在な試みを、俳句で行った人」として高柳重信、「形式でも内容でも、近代以降の俳句がやったことをすべて総合しているといってもよい」夏石番矢、「音数律以外の約束ごとを踏んでいない」ところが「新鮮」な角川春樹、「戦後派の特徴である主観性の俳句」の西東三鬼。

 吉本がこの四人を選んだ背景には、俳句を生むに到る日本の詩歌史が踏まえられている。「五・七・七ないし四・七・七の音数律の歌を二人が応答しあう形式」だった片歌が、「一人の作者が一首のうちで問い、答える形になったものが短歌の始め」と吉本はいう。そして、上の句の五・七・五の問いかけが、下の句の七・七の「暗喩や直喩」へと変化し、「問いと答えのように並列しているのではなく、一人が上から下へ一行で詠みくだす構造」へとなる。この変化は、「五・七・五の上句と七・七の下句との間に深い息継ぎ、区切りがある」という「短歌の特徴」が壊れていく過程でもあり、室町期には、どこでどう区切ろうと、要するに五七五で終わろうと七七で終わろうと同じ」になる。「なぜ、五・七・五・七・七まで必要なのかが分からなく」なり、「短歌が壊れる段階」に到る。そこに、連歌、俳諧、俳句が生まれる。

 短歌の特徴として上句・下句の区切りを挙げる吉本は、俳句では、主観と客観の併存を説く。吉本は、「俳句は、五・七・ごのうち、たとえば最初の五が客観描写」なら、「後の七・五は自然詠であっても主観的な表現になっているのが特徴」といい、「逆に、五だけが主観的な表現で、七・五は、客観的であるというような区切りがつくのが、芭蕉や蕪村の時代から変わらない俳句という詩型の常道である」という。そして、角川春樹の「俳句の新しさは、平明な口調で書かれていることと、一見すると俳句らしくなく受け取られるような作風」にあるとし、その特徴は、「俳句の常道である客観と主観の交代する組み合わせによらず、主観だけ、あるいは客観だけでできているような句によく表れれている」とする。また、西東三鬼も「伝統的な客観との対応性を無視してまで、主観的な作品をつくった」戦後派俳人である。

短歌が壊れ、また、俳句でも主観と客観の対応が崩れていく。そういうなかにあって、高柳重信は、「俳句的な五・七・五を壊して短詩に近い作品をつくり」、「知的な人々に大きな影響を与えた。」
 夏石番矢も、おそらくはその大きな影響を受けたひとりであるのだが、吉本が着目するのは、夏石が何を壊しているかではない。吉本は、夏石俳句は「一足とびに西欧の現代詩と同じ次元の表現をしたいというモチーフを持っている」といい、「これまでの前衛俳句が試みてきたことを全部やってみようとしている」ともいう。
 そして、吉本が引用する夏石の句は、『巨石巨木学』から、

  彼(ひ)国(こく)微(み)風(ふう)吹(すい)動(どう)常(とこ)立(たち)杉(すぎ)微(み)塵(じん)

 この句を吉本は、「古い巨木と新しい病(花粉症)の組み合わせのユーモアに俳味を見出している。」と評価する。「夏石さんの句は、一見するととんでもないものに思えるかもしれないが、よく読むと、前時代の前衛俳句よりも、むしろ俳句らしく音数律の枠を保って、わかりやすい」と述べる。さらに、

  松(まつ)風(かぜ)颯(さつ)颯(さつ)受(じゅ)諸(しょ)苦(く)悩(のう)御(み)船(ふね)石(いし)

 この句について吉本は、「松風の音がしているという自然の描写、客観的な風景が、さまざまな苦悩という内面的なものに転調されている」といい、「芭蕉の作品を思い出せばわかりやすいが、客観的なものを主観的なものに転調することでポエジーが生まれるというのは、俳句の特質」だとしている。
 吉本は、これらの「助詞を抜いて」「すべてを漢字にし」「しかし、漢詩になったわけではない」夏石の句は、「まぎれもない日本語」の「粋だけを集めたように読め」、「日本語の中枢だけを並べて」、「日本語の表記というものの根幹をついている」という。そして、
 「夏石さんの言葉は日本語の音数律のなかで暴れていて、ギリギリの地点までいくのだけれど、それを踏み破ってしまうことはない。」「夏石俳句はバランスがよい。」

 さて、このように見てくると、日本の俳壇の指導的立場にある金子兜太や有馬朗人などの名前が出てこないことが、興味深い。吉本は、『現代日本の詩歌』を劉覧しようとしたときに、そのもっとも先導的で特長的な位置に立つ俳人を二人だけあげるなら、角川春樹と夏石番矢をあげるのがよい、と考えたのだ。
 繰り返しになるが、「音数律以外の約束ごとを踏んでいない」ところが「新鮮」な、あるいは前衛的な角川春樹、
 一方、すでに見たように、芭蕉以来の俳句を、その構造において継承している夏石番矢。
 愉快ではないか。わたしたちは、角川春樹と夏石番矢を、吉本のように見ているだろうか。わたしたちは、作品の字面だけしか読めず、無意味な先入観などで、吉本とはまるで反対の見方をしてはいないだろうか。いや、そうは思わないという人は、改めて『詩の力』を紐解く必要はないだろう、しかし、もし吉本のいうことはおかしいと考えるなら、新潮文庫三六〇円余は、絶対にお買い得、熟読玩味の価値がある。

             

吉本隆明/角川春樹

吉本隆明『詩の力』によれば、「俳句という表現」の項で、「俳句の発生を考えるには、短歌が壊れていく過程が問題になると思われる」と述べたのちに、「現在の俳句と短歌の違いをいえば、やはり俳句のほうが様式として新しく、ひとりでにモダンな要素を醸し出す表現であるといえるのではないか」「俳句のほうがモダンな感覚を盛り込みやすく、現在の感性でも容易に入っていけるのだと思う」と結んでいた。そして、角川春樹にについては、「角川さんの俳句の新しさは、平明な口語調で書かれていることと、一見すると俳句らしくなく受け取られるような作風にある」、また、「作品の特徴は、俳句の常道である客観と主観の交代する組み合わせによらず、主観だけ、あるいは客観だけでできているような句によく表れている」とした。

  閉じし眼の裏にも花の吹雪きけり      角川春樹

  地震(なゐ)狂ふ荒地に詩歌立ち上がる   角川春樹

平成24年3月16日吉本隆明死す

黎明や春の寒さを逝きにけり      上泉呑海

春寒し吉本隆明とこしなへ       上泉呑海

春寒し「涙が涸れる」吉本忌      上泉呑海

江藤淳吉本隆明涼しさよ       上泉呑海

 

ぼくはかきとめておかう 世界が

毒をのんで苦もんしてゐる季節に

ぼくが犯した罪のことを ふつうよりも

すこしやさしく きみが

ぼくを非難できるような 言葉で

ぼくは軒端に巣をつくらうとした

ぼくの小鳥を傷つけた

失愛におののいて 少女の

婚礼の日の約束をすてた

それから 少量の発作がきて

世界はふかい海の底のやうにみえた

おお そこまでは馬鹿げた

きのふの想ひ出だ

それから さきが罪だ

ぼくは ぼくの屈辱を

同胞の屈辱にむすびつけた

ぼくは ぼくの冷酷なこころに

論理をあたえた 論理は

ひとりでにうちからそとへ

とびたつものだ

無数のぼくの敵よ ぼくの過酷な

論理にくみふせられないやうに

きみの富を きみの

名誉を きみの狡猾な

子分と やさしい妻や娘を そうして

きみの支配する秩序をまもるがいい

きみの春のあひだに

ぼくの春はかき消え

ひよつとすると 植物のやうな

廃疾が ぼくにとどめを刺すかもしれない

ぼくが罪を忘れないうちに ぼくの

すべてのたたかいは をはるかもしれない

                              吉本隆明「ぼくが罪を忘れないうちに」より

 

江藤淳とわたしとは文芸批評のうえでも、時事的な評論のうえでも、

よく似た問題意識をもってきたが、大抵はその論理の果ては対極的

なところに行きついて、対立することが多かった。

……なぜかわたしには対極にあるもの特有の信頼感と、優れた

才能に対する驚嘆と、時々思いもかけぬラジカルな批評をやって

のける江藤淳にたいする親和感があった。                  

                         吉本隆明『江藤淳記』より