歴史と真実     横田順弥『書林探訪』より

古書だけでなく、そこに歴史や人物が関係してくると紹介が難しい。攻玉舎学園の創始者近藤真琴の伝記『近藤真琴先生伝』(昭和和十二年)に、山屋他人海軍大将が攻玉塾時代の裏話を披露している。塾生のひとりで、のちの上泉徳彌海軍中将が「ランプをひつくり返して、机の上一面に石油を流してしまつた。この人元来乱暴者のこととて、油気を抜く為め之れに火を付けてさかんに燃やしてゐた。折柄庭前巡視の近藤先生に見つかつてしまつて、非常に怒られ一時停学(?)といふ事で即時退舎を命ぜられてしまつた」。さらに近藤は上泉が自分に反抗したと判断。退校処分も考えたが、保証人の詫びで誤解と知ったそうだ。『上泉徳彌伝』(昭和三十年)を見よう。入舎した上泉は二、三日塾長に会えなかった。「其のうち塾長と云う方が始めて教室に見えたので、直に起立して『近藤先生とはお前でおいだつたかし、宜敷お頼み申す。』と米沢弁丸出しでやった処が、先生は目を怒らして『先生をお前とは何だ、馬鹿野郎。』と一喝された。(中略)塾内でランプ掃除をして居た処、石油を少し机上にこぼしたので火をつけて見ていた」ら即座に退塾を申し渡された。上泉は、「そうですか」と荷物をまとめて帰った(「お前」の件は、後日、近藤も方言だと知って納得したという)。前著の著者は良心的で、上泉に確認をした。上泉は『近藤真琴先生伝』に自分の名前が載る光栄を述べ、続けて「御記憶にも多少の御間違いも有之候へども大体の筋書には大差無」いので訂正不要、と返書。二冊とも本人の没後刊行の非売品。正直、このエピソードが両書に載っているのを探し出すのには、苦労した。山屋他人の伝記には出ていない。果たして真実は、どうだったのだろうか?いつもながら、歴史探索の難しさを痛感している。

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