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こんにちは。

上泉呑海俳句航海記へ、ようこそ。ご訪問ありがとうございます。

心の奥底から湧き上がってくる詩(うた)を新しい旋律に出来ればと、祈っております。いつの日か、哀切な清冽な詩が駆け抜ける日を。

「詩」を「声」にひろげ、生者の声と死者の声が共存し、活きる言語空間を。現代のなかに古代があり、「声」が「詩」になり、また「声」に戻る世界を。

一つの民族の血と土に根ざしていない詩は、悉く無力な修辞に過ぎないと、愚考しています。

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呑海俳句2018/04

日脚伸ぶコインランドリーの赤き椅子

風のこゑ鷹のこゑある父の天

帆走の彼方に父の寒北斗

デモの雪神保町の暮れゆけり

VANジャケツ「さぼうる」辺り逆光す

呑海俳句 2018/03

父の樹のはるけきこゑを恵方とす

父の樹の大きな空や御代の春

G線上のアリア水なきプールに年逝かす

冬薔薇いつもの海を見てゐたり

母の灯や山茶花ちらしの雨が降る

呑海俳句 2018/02

少年が俺の枯野で泣いてゐる

新宿の荒野に置き去りのポインセチア

帆柱の突き抜けて行く冬の虹

江ノ電や父のマントが立つてゐる

歳晩やマリンブーツのつけし跡

 自句自解 (俳句春秋) 2018 冬

歳晩やマリンブーツのつけし跡

年末になるとヨッティングの機会も減ってくる。今年最後のヨッティング。艇(ふね)も念入りに洗う。ヨットの甲板にはマリンブーツの跡がくっきりとついている。あんなことこんなこと、今年の海での思い出を回顧しているかのようだ。(季語・歳晩)

終着駅あの日の鷹にめぐり逢ふ

海沿いの街の駅で鷹がゆったりと飛んでいるのを見た。その大きく旋回する姿は自分の来し方を思い起こさせ、かつて若い時に戦ったときの熱い思いとめぐり逢ったような気がした。(季語・鷹)

少年が俺の枯野で泣いてゐる

こういう句を自句自解しようとすると、どうにも照れがある。読んで頂いた方が何かを感じて下さればそれで充分である。ちなみに、この「枯野」は実景ではないから季語として成り立たない、という考え方もあるが、私は、一行詩としてそこに己の思いを乗せるのであるから、この「枯野」は季語として生きると考えている。(季語・枯野)

呑海俳句 2018/01

かりがねや高層街のショットバー

逝く秋や帆(セイル)に残る日のにほひ

ジャズメンの時雨るる午後や基地の街

わが艇(ふね)の吹かれて長き冬銀河

秋霖の底に灯のあるショットバー

呑海俳句 2017/12

身に入むや父在りし日のジッポの炎(ひ)

逝く秋や父の書斎に日のにほひ

マルボロや遠き時雨の街にゐる

秋深きもののひとつにジッポの炎(ひ)

マリーナに遠く日の差す九月尽

呑海俳句2017/11

マリーナの遥かに灯る水の秋

夕かなかな母の衣桁のしづもれり

さびしさは父なき後の処暑の椅子

かなかなや父の書斎にゐてひとり

潮速し慶良間(けらま)ブルーに秋の空

自句自解(俳句春秋)2017秋

 

俳句春秋     上泉呑海

マリーナの遥かに灯る水の秋

秋になると突き抜けるような空と共に、海や川の水も澄んでくる。「秋の水」「水の秋」はこの季節感を表わす季語だが、「秋の水」には「秋」に、「水の秋」には「水」に重点が置かれる。一日の帆走を終え、ハーバーに戻って来た黄昏どきの清々しい水の景を詠んでみた。(季語・水の秋)

夕かなかな母の衣桁のしづもれり

「かなかな」とは蜩のことである。油蝉やみんみん蝉、にいにい蝉は夏の季語だが、蜩は秋である。晩夏から秋にかけて「かなかな」と鳴く声は寂寥感を含み、胸に迫るものがある。と同時に少年時代の記憶をも蘇らせる。(季語・かなかな)

秋天に父の大弓(だいきゅう)ひようと鳴る

私の父は判事をしていたが、大弓の全国大会で優勝するほど弓が好きであった。父の遺品の大弓は私の手元にあるが、それを目にする度に背筋のぴんと通った父の袴姿を思い出す。と同時にその音が秋の澄んだ空に「ひょう」と鳴った。(季語・秋天)

呑海俳句2017/10

夕顔や時間のひらくジャズセッション

幾万の夏蝶生れよ原爆忌

空蝉を机に並べ敗戦忌

空蝉が哭けば日暮や敗戦日

モノクロの父の戦後や天の川

2017/09呑海俳句

置き去りのデッキシューズや沖縄忌

昏れてゆく雲の墓標や沖縄忌

日輪の軋みの音や沖縄忌

羽蟻とぶ高角砲の錆び付けり

夾竹桃の白に風ある太宰の日